藍色の風 第38号目次
「NO」ってなんだろう?
「長嶋・王」ではありません。今回のテーマ「NO」は「エヌ・オー」と読みます。日本名では「一酸化窒素」と呼びます。医学を学ぶと、私達の身体は本当にうまくできていることがわかります。神様が人間の身体を作ったというのなら、神様は本当にものすごい頭脳を持っていると思います。今回は私達の身体に備わった「NO(エヌ・オー)」という物質の働きについてお伝えします。
ひげそりの時、誤って深剃りすると出血します。これは血管を傷つけることによって血液が血管の外に出てくるからです。特別な病気がなければその程度の出血では、局所の血液が凝固して自然に止まります。しかし血管の中の血液は凝固せず、全身の血管をくまなく流れています。血管の外に出れば固まるのに血管の中にいれば血液は固まりません。血管の中の血液が固まらないようになっている仕組みにはいろいろあるのですが、そのうちの一つの働きが今回の「NO」の作用です。
「NO」は血管壁の一番内側の細胞、内皮細胞から分泌されています。「NO」にはいろいろな生理作用がありますが、血液中の血小板が凝固して血栓を作らないようにする働きがあります。この「NO」の分泌が悪くなると血栓ができやすくなってしまい、脳梗塞や心筋梗塞が発症することになります。内皮細胞が「NO」を作りにくくする大きな原因には次の5つがあります。(1)高血圧:高い血圧による血管内皮細胞への物理的な傷害、(2)糖尿病:血漿タンパクの糖化や血液粘度の上昇、(3)脂質異常症:血液粘度の上昇、(4)喫煙、(5)ストレス
こういった原因により局所に活性酸素が発生し、内皮細胞を傷害して大事な「NO」の発生を減らしてしまう機序がわかっています。
また「NO」には血栓をできにくくするだけではなく、血管を広げる作用があります。「NO」で血圧が下がりますし、末梢の血液も流れやすくなります。非常に治療が難しい肺高血圧症にも「NO」が利用されています。また狭心症の人が使用するニトログリセリンは、それを服用すると「NO」分泌が増加して心筋の栄養血管である冠状動脈を拡張させる仕組みがわかっています。「NO」には体内で発生する過剰なフリーラジカルを抑制する効果もあります。いわゆる抗酸化作用です。
動脈硬化性疾患で治療を受けている人、または動脈硬化性疾患を予防しようとしている人はこの「NO」をきちんと分泌させれば、非常に効果的であることがわかります。「NO」を産生させやすくする食事やサプリメントもいろいろと宣伝されていますが、簡単に「NO」分泌を増加させることができる運動についてお伝えします。
「NO」の研究で1998年にノーベル医学・生理学賞を受賞されたのがアメリカ人ルイス・J・イグナロさん(写真右)です。彼の書籍から運動と「NO」の関係について要約してみます。
(1)運動をすると十分な量の「NO」が産生されるよう内皮細胞を刺激する。その「NO」は血液が体中を猛スピードで走りまわるようにするのではなく、ゆったりと巡回するようにする。「NO」を適切に分泌させるためには、1日に20分の運動を週に3回行うことが最低限必要です。運動の種類としてはウォーキングを勧めています。これまで運動経験のない人や改めて運動を開始する人にとって、最も安全な方法であるからだと思います。ウォーキングのスピードは歩行中に会話が続けられる程度で。「NO」をたくさん産生しようとして心拍数が120/分以上になるような運動をしても余分な「NO」は産生されないことがわかっています。身体が慣れてくればウォーキングよりもさらに強度の強い運動にステップアップしてもかまいません。ただし、前述のように「NO」を産生させるためには疲れ切るほど運動をする必要はありません。大切なのは節度ある運動を続ける決意であり、それを定期的にすることです。定期的に運動すれば、運動していない時よりも多くの「NO」を産生するよう、内皮細胞を訓練することになります。そしてその効果は運動をし終わった後も長く続くことがわかっています。
(2)運動をすることで善玉のコレステロールであるHDLが増加しますが、その過程でも「NO」が重要な役割を果たしていることがわかりました。
(3)動脈内にプラークと呼ばれるコレステロールのゴミが沈着すると、心筋梗塞症や脳梗塞が発症しやすくなりますが、運動で「NO」の産生が増加すればその「NO」によって血小板が動脈の内壁に付着しにくくなるため、プラークのさらなる蓄積や血栓の発生を防ぎます。最終的に、心筋梗塞や脳梗塞を発症しにくくします。
「運動は健康によいから」と勧められても、どのような機序で健康によいのかがあまりわからなかった方も多いと思います。運動が健康増進の一助になる一つの理由が運動による「NO」産生なのです。「運動をすれば自分たちの身体の中に「NO」が産生されている」と思いながら歩いてみると、身体の仕組みのありがたさが、またわかるかと思います。
【坂東】
引用文献:「NOでアンチエイジング」 ルイス・J・イグナロ 日経BP企画
こぼれ話
イグナロさんの研究の過程で、陰茎の勃起を引き起こす化学的な伝達物質がこの「NO」であることがわかりました。「NO」は血管の内皮細胞から分泌されると説明しましたが、それ以外に、神経細胞の中にも「NO」を合成する神経があったのです。そのうちの一つが陰茎の勃起組織神経細胞でした。この神経が「NO」を放出すると陰茎組織の血管が緩み、勃起が発生します。この発見をきっかけに製薬会社のファイザー社が「バイアグラ」を開発し全世界に販売しました。
ED(勃起不全)の相談が時折ありますが、サイクリングEDということが言われています。平均して1日に2時間以上、長距離サイクリングを趣味とする人の中に、EDが発生しやすいという報告があります。これは細いサドルに座って長時間、自転車を漕いでいると、会陰部の圧迫によって勃起関連の神経や血管を圧迫し、EDを発生させることがあるからです。マウンテンバイクなどでオフロードを長時間走ることも、その衝撃の強さからED発生の危険性があると指摘されています。これを避けるために、最近の長距離用自転車ではサドルの先端部分を無くしたり、サドルの中央部分に穴をあけたりして、会陰部への圧迫を減らすようにしたものが販売されています。(写真は渋谷三丁目クリニックHPから引用)心配な方は自転車専門店でご相談下さい。ママチャリのような幅の広いサドルや通勤・買い物に使う程度の自転車走行では問題にならないことはわかっていますので、ご安心下さい。
【坂東】