藍色の風 第38号目次
老いの入舞(いりまい)
『藍色の風 第29号』で「平穏死の勧め」を、『同 第30号』では「日本尊厳死協会」を取り上げました。前者では認知症に罹患し、口から食事ができなくなった寝たきり老人に胃瘻が作成され、意識のないまま長年経過している実情について、後者では延命治療を拒否するならそれなりの対策が必要で、その具体策についてお伝えしました。この二回の記事で、自分の人生を自分らしく仕舞う方法を考えていただこうと思いました。
今年9月に第25回日本臨床内科医学会が札幌で開催されましたが、その推薦演題として近藤内科病院院長 近藤彰先生(写真左)の「高齢者・神経難病・がん患者における胃瘻の実態と取り扱いガイドライン作成についての提言」という発表がありました。四国内の急性期病院消化器科3カ所、長期療養病院3カ所、神経難病病棟2カ所、緩和ケア病棟3カ所に胃瘻患者の頻度と問題点を尋ねて調査しています。皆さんに関係する部分を取り上げてみます。
長期療養病床での胃瘻患者は全入院患者数の18%(94/527)を占めていました。脳血管障害による意識障害や認知症などで、口からものを食べることができなくなったとき、胃の内視鏡を利用して胃の内側から腹壁に穴をあけてチューブを通し、外界からそのチューブ越しに栄養物を注入する方法が胃瘻による栄養補給です。胃瘻作成に関してはたくさんの問題がありますが、その一つは胃瘻作成が患者本人の同意を得たものではなく、家族の同意でなされていることが多いということでした。
胃瘻を作成された患者さんが認知症であったり、脳血管障害などで意識がなかったりして、本人の意思を確認することができないことが多いのでしょう。家族にしてみると親が正常な判断ができなくなったり、意識がなかったりして、口からものを食べられなくなれば、延命のために胃瘻を作成することに同意するものと思います。しかしそれは本人が望んだ状態であるかどうかはまったくわかりません。中には親の年金が途切れないようにという、黒い意図が隠れていることもあるようです。なお、日本ではこの胃瘻などによる経管栄養が簡単に導入されていますが、認知症末期の患者さんに施行して、その延命に役立つかどうかは検証されておらず、諸外国では尊厳を保つ上でも推奨されていません。
高名な免疫学者で脳梗塞に罹患し、その懸命なリハビリが感動を呼んだ元東京大学教授の多田富雄さんは昨年4月に前立腺がんで逝去されました。多田さんは右半身不随、構音障害、嚥下障害があり、それでも文筆の仕事を続けたいとして亡くなる半年前に胃瘻作成を決意し、その手術を受けました。胃瘻からの栄養物にウイスキーを混ぜて楽しんだとの記事もありました。また、最晩年には「トリュフ入りのコンソメを胃瘻から注入し、ゲップによる芳醇なスープの香りと、退廃的な高貴な香りを楽しんだ」とも記載されています。こうしてみると、胃瘻の全てが悪いわけではなく、自分の意思が尊重されているかどうかが問われるように思います。(上の写真は胃瘻作成後にリハビリを行っている多田富雄さん)
いずれにしろ、自分の人生をどのように仕舞うか、きちんとリビング・ウィル(生前の意思)を作成し、子供や孫達にはっきりと自分の意思を伝えておくことが必要です。そして自分が臨死状態になったとき、中心的に働いてくれるキーパーソンにはきちんとその意思を伝えておかなければなりません。家族や親族内でもめないようにするためです。
なお、自分の両親や兄弟などが臨死状態になり、「延命治療を望まない」と施設側に意思表示する時の書面として、別紙のような書式が医学雑誌に掲載されています。(一部改変)上智大学大学院法学研究科教授の町野 朔氏が特別養護老人ホームに入居している自身の母親の逝去に際して、延命治療を望まない意思表示として兄弟で署名し提出したものです。このような意思表示がない場合、施設側は救命手段や延命手段をとらざるを得ません。一部の親族から「なぜ治療しなかったのか」と「医療行為の不開始」ということで責任を問われる可能性があるからです。
平成22年に日本病院学会が調査した結果では全国の胃瘻患者は26万人と推計されています。この状態の医療にも莫大な費用がかかっています。近藤先生は胃瘻作成という医療行為には哲学的・社会的に大きな問題があり、関連する学会がこの問題に真剣に対峙し、胃瘻のガイドラインを作成するよう提言して講演を締めくくり、会場からは大きな拍手があがりました。
さて、タイトルにも記しましたが「入舞(いりまい)」という言葉があります。国語辞書で引いてもでてきませんが、世阿弥晩年の『花鏡』に見られます。前述の多田富雄さんの著作『ビルマの鳥の木』から引用してみます。「舞楽などでいったん舞いが終わって舞手が退場する前に、もう一度舞台に戻って、名残を惜しむかのようにひと舞い舞って、舞い収めることをいうのだそうだ。世阿弥のいう「入舞」は老境に入った能の名手が、もう人生の最後というころ、壮年の役者には及びもつかないような芸境の能を演じて観衆を感動させるようなことを指している。」
私は現在58歳です。いつになるかはわかりませんが、私も医療の分野で「老いの入舞」を舞ってからあの世に旅立とうと思っています。自分の人生を仕舞う準備は必要です。私の最後はどのようにして欲しいか、きちんと家族にも伝えています。終末期の状態を他人任せにするのではなく、自分はどのような状態を望むのか、元気なときからご家族に伝えておくことが重要です。まだまだ先のこと、縁起が悪いなどと考えずに、準備されることをお勧めします。
「得難い人生 限りある人生 その人らしく 活き活きとした 楽しい人生が続きますよう 医療面でお手伝いします」当クリニックのこの理念を念頭に、毎日の診療を行っていますが、同時に皆さんには「老いの入舞」を見事に舞って欲しいとも願って、診療にあたっています。
【坂東】
参考文献:1)病院 第70巻 第10号 医学書院 2)「多田富雄の世界」 藤原書店