医療におけるTPP

環太平洋経済連携協定(以下TPP)に関して、一時期のように熱心な報道は影を潜めています。交渉は秘密裡に行われるとのことであり、気になる点は多々あります。TPPに関してその全貌を把握し、日本の将来のためにどう選択すべきかの結論を出すことは、容易ではありません。私も全体像を把握しているわけではありませんが、TPP交渉では混合診療、自由診療の解禁も議題にのぼると報道されました。医療におけるTPPの問題点を皆さんと考えてみたいと思います。

1989年から1990年にかけて、私は米国テキサス州ヒューストンにあるテキサス心臓研究所(以下THI)で心臓血管外科のトレーニングを受けました。THIは今でいう自由診療病院でした。心臓血管外科のパイオニアであるDenton A .Cooleyという医師が創設した病院で、全米のみならず世界中から心臓手術を希望する患者さんが押し寄せていました。私が赴任する前にはエジプト大統領もその病院で心臓手術を受けています。

私が在籍していた当時は、心臓外科手術書をも執筆している執刀医等7名を擁し、9つの手術室で朝7時から手術が始まり、一日に30〜35例の心臓大血管手術が行われていました。私は助手として手術に加わり、多くの知識を学び、また技術を身に付けることができました。Cooley博士の助手も務めましたが、そのおおらかな人格からも学ぶことが多く、有意義な研修でした。

THIの手術手技を学ぼうと、私のように世界中から心臓外科医が集まっていましたが、各国の医学部生も研修に参加していました。また心臓外科的な診療だけではなく、循環器内科的な診療も行っていましたので、膨大な人数の医療関係者が働く病院でした。

THIは自由診療の病院であり、米国には日本のような国民皆保険制度はないため、THIで手術を受けようとすると、専用の医療保険に加入していなければなりませんでした。そうでなければ高額の医療費を全額実費で支払うことが必要でした。徳島の人達が「心臓の手術を受けるために、日赤病院へ行ってくる」といって気軽に受診できるような制度ではないのです。

自由診療を認めるということはTHIのような病院を作ることにつながります。米国系企業に限らず、日本の医療界で大金を稼ごうとすれば、このような自由診療病院をつくればよいのです。心臓外科のみならず、整形外科、脳外科、消化器外科、乳腺外科などの優秀な日本人執刀医に、破格の条件を提示してその病院にスカウトします。その自由診療病院でこれらの外科医に手術をしてもらおうとしても、現在の国民皆保険は使用できず、その病院が設定している高額な医療費を現金で支払うか、または普段から自由診療用健康保険に加入しておかなければなりません。お金のある人は優秀な外科医に、そうでない人はそうでない外科医に手術をしてもらうと言うことになりかねません。優秀な外科医のもとには研修医達も集まるため、研修医制度も影響を受けるでしょう。このような病院が増えていくと、国民皆保険制度は有名無実になっていくと思います。

米国では政府が医療に介入することは社会主義につながるとして、それを嫌う勢力が強いと指摘されています。それに対して、日本では「お互い様、お陰さま」の思想から、相互扶助の国民皆保険制度が機能しています。互いの異なった風土や国民性から築き上げられた医療制度を、共通の制度にするよう交渉をしても、良い結果が得られるとは思えません。

米国議会は「すべての問題を交渉のテーブルに載せる意思が必要だ」と主張しています。日常生活の広範囲に影響が及ぶTPPをどうするのか、私達もしっかり考えなければならないと思います。 

 【坂東】