両親の歴史

60歳代女性Mさんの診察時に、私の母親のことを話すことがありました。
私の母親は86歳を目前にして、くも膜下出血で突然死してしまいました。年を重ねるにつれて少しずつ体力も低下してきていましたが、認知症の傾向はありませんでした。母親の生まれはアメリカのデンバーで、17歳の時に家族6人で日本に帰国しています。その後、結婚し、満州に移りましたが、敗戦により私の兄二人を連れて引き揚げ者として日本に帰ってきています。その後、姉、私と生まれ、合計4人の母親となりました。子供の私から見ても、母親の人生は波瀾万丈であり、ぜひ記録に残しておくようにと勧めました。

昇天する前の母親は大好きな五木ひろしのビデオをみる合間に、少しずつ文章を書きためていたようでした。しかし、なかなか筆は進まず、道半ばにして急逝してしまいました。私が直接母親に尋ねて口述筆記しておけばよかったと後悔しましたが、後の祭りです。私の名前がなぜ「正章」なのかさえ、尋ねずに終わりました。こんな残念な思いをMさんにお話ししたことがありました。

それを覚えておられたMさんはご自分が長年介護していた実の母親に、自分の知らない母親の人生行路などを尋ね、きちんと記録に残されました。懸命の介護も効無く、今秋逝去されましたが、ご葬儀では母親のこれまでの来し方を記録したDVDをスクリーンに映し、参列してくれた人々に見ていただいた由です。参列者はその内容に非常に感動されたとも伺いました。

私もそのDVDを拝見しました。藤鼠色に装丁されたDVDにはお母様のご両親、ご本人の幼少の頃、若くして奉公にでた時代、掃除婦として働いた苦難の時代、結婚して母親となった時代、また孫との海外旅行時の写真などが収められていました。お母様を非常に大切にされたということが、見る者にひしひしと伝わる内容でした。こういった画像と文書を併せて保存すれば、子や孫、ひ孫の世代にも非常に貴重な資料になると思います。

「親孝行 したいときには親はなし」「いつまでも あると思うな親と金」まだご両親がご健在なら、
ご存知ないご両親の来し方をゆっくり尋ねられ、記録に残されたらと思います。

 【坂東】