藍色の風 第13号目次
「あっ、忘れとった‥」
「予約の日を忘れとった‥」「血圧手帳、もってこようとおもうて、机のうえに出しとったのに、忘れた‥」
診察時によく聞かれる「あっ、忘れとった」の実例です。「しようとおもとったのに、忘れた‥」ということは私もよく経験します。「あっ、忘れとった‥」の正体は何か、どうすれば防ぐことができるのかについて説明します。
「あっ、忘れとった‥」ということは、これからやろうとしている行動の記憶を、適切な時期に思い出せなかったことを意味します。「試験の時に勉強したところを思い出せなかった。」とか、「あの人の名前が思い出せない。」といった過去の記憶(回想記憶)を思い出せないという問題とは異なります。「あっ、忘れとった‥」という時の記憶を「展望記憶」とよびます。
さて、記憶するという行為には「記銘」「保持」「想起」という段階があります。物事を覚えて、しっかり記憶に留め、必要なときに思い出すということです。今回問題となる展望記憶の事例では、適切な時期に思い出す、「想起」に問題があることがわかります。
それでは適切な時期に上手に思い出すにはどのようにすればよいのでしょうか?
第一番目に大事なことは自分の記憶力の程度がどの程度か、きちんと把握することです。過大評価をしても、過小評価をしてもうまくいきません。自分が覚えておける、また思い出せる能力はこの程度であると、認識することが第一歩です。
二番目に大事な方法は、予定している行動の時刻や場所を指定するということです。その行動を思いついたとき、直ちにするようにすれば問題は起こりません。「玄関の電球が切れていれば、気づいたときに交換する。」「お醤油が少なくなっていれば、気づいたときに買いに行く。」このようなことができれば「あっ、忘れとった‥」はなくなります。しかしこのような行動はその人の性格を変えなければならず、無理なことが多いようです。
しかし、「お醤油を買っておこう。」と予定したとき、「仕事帰りの午後6時に、○○スーパーでお醤油を買おう。」と、行動する時刻や場所を決めて覚えておくと「あっ、忘れとった‥」の発生率が少ないという実験結果があります。「できるときにしておこう」とか「時間があればしよう」という漠然とした予定を立てるのではなく、何かをしようと予定を立てるときには、なるべく具体的に、それを行う時間と場所を決めておくと、実際にその時刻や場所に近づいたときに、無意識的に思い出す可能性が高まるとされています。
第三番目の方法として状況を整備するということが挙げられます。受診のときに必ず血圧手帳を持って行こうと考えたら、早朝すぐに血圧手帳を丸めて、普段履いている靴のなかに入れておくと忘れることは100%ないでしょう。靴の中は極端としても、玄関の引き戸近くのフックにつるしておく、玄関の上がり框においておく、など目に付くところに持って行くものを置くような習慣にすると「あっ、忘れとった‥」は少なくなります。私は普段と違ったものを病院に持って行く時には、緊急時の邪魔にならぬよう、前日の晩に玄関板間の端っこに置くようにしています。そうすれば必ず翌朝出勤時に目に付きます。
毎日の習慣として行っている行為の中に、いかにうまく、目立つように「展望記憶」を埋め込んでおくかという工夫を、それぞれの生活の中でされたらよいと思います。
「あっ、忘れとった‥」について、もっと詳しく知りたい方は『「あっ、忘れてた」はなぜ起こる 梅田 聡著 岩波書店』をご覧下さい。
【坂東】