藍色の風 第30号目次
「誰ぞに代わってもらお…」
【坂東が使用していた拡大鏡】
心臓外科医を辞めたのは7年前でした。遠い過去のようにも思います。駆け出しの研修医時代から第二助手、第一助手、執刀医へと進むにつれ、その責任は重くなります。執刀医として手術を行うからには手術が難しいからといって途中で誰かに「代わってくれ」などと頼むことはありえません。緊急手術の場合は別にして、その手術を自分でやり遂げることができないと予測できる時には最初から手を出さず、その手術をなしうる外科医や施設に紹介します。私の場合、小児の複雑心奇形はすべて小児専門の施設に手術を依頼しました。単なる名誉欲で難度の高い手術に挑み、失敗して裁判沙汰になるケースも報道されますが、それはごく特殊な場合で、大多数の心臓外科医は自分の能力を弁えています。
ただし、未経験の手術であっても「自分にはできる」と確信が持てるときには手術に踏み切ります。そのような手術に臨む時には文献や手術書など入手しうる限りの資料を集めて十分に読み込みました。また、私は手術手技を確認するために病理施設から借り受けていた心臓標本も利用しました。その手術を行うにはどの方向からのアプローチが有利か、どのように手術野が展開されるかなど、標本の心臓を手にして確認しました。実際の手術では展開しえない視野も、標本であれば望みの視野を用意することができます。この作業は通常の業務が終了した深夜に一人で行いましたが、心臓を手にとって考え込んでいる私の姿を誰かが見たら、オカルト映画のように不気味に映ったことでしょう。
このように、手術に際しては自らの力量を見据え、術前に十分な検討や準備をして臨みますが、それでも思いもよらぬ合併症で手術死亡に到った経験が、私にも複数回あります。よく似た疾患の方を診察したとき、今でもその手術場面を思い出します。手術は不成功で救命できなかったという私の説明に、滂沱として流れる涙をぬぐおうともせず、唇を震わせながら立ちすくまれたご家族の姿は忘れることができません。執刀医にとっても身を切られるような事象でした。重篤な疾患があったとはいえ、術前は話もできた人です。その人が私の手術で命を落としたわけですから、私は人殺しでもありました。しかしこのことで自らにけじめをつけるとして心臓外科医を辞めてしまえば、その手術死亡は一手術死亡例で終わってしまいます。その手術で得られた経験を次の手術に活かしてこそ、その手術死亡にも意義が生まれます。また、そうすることで亡くなった患者さんにも許していただける可能性が生まれると考え、心臓外科医を辞めてはならぬと自らを鼓舞し、手術を続けました。
心臓手術に限らず人が何かをなすとき、そしてそれが人の生命や生活を大きく左右するような場合には、自らがそれを担当するのにふさわしい力量を備えているかどうか、十分に自己分析する必要があると思います。人のことですから100%の確信を得ることはできません。しかし、まず間違いなく完遂できると判断できて初めてその仕事に着手すべきです。
日本の政治に危機感を感じておられる方は多いと思います。日本の首相は日本人の殺生与奪の権を握っていますが、最近の歴代首相の仕事ぶりを見るにつけ、日本が直面している諸問題に関して、どれほどの調査、研究をしているのだろうかと疑います。すべてに精通することは不可能としても、概要を理解するだけの基礎知識や、それらを統合して明確な指針を打ち出せる能力は必須です。首相として立候補する前に、自らの力量を十二分に吟味する必要があります。資質のない人が権力の座についてはならぬと思います。
また、日本のトップリーダーである首相が政策を完遂できないことを理由に、いとも簡単に辞め、別人が後を引き継ぐということが繰り返されてきました。このような状況を見るにつけ、手術中にその困難さから行き詰っても、バトンタッチなど夢想だにせず、手術チームのすべての知識・技術を総動員して最後まで手術をやり遂げようとする、心臓外科医の責任感を思い起こします。そしてこのような責任観を抱く職業人は心臓外科医のみならず、他科の医師にも多いことでしょう。災害救助にあたるレスキュー隊員や対外交渉にあたる外交官などもそうでしょうし、市井で地道に働く他の多くの人の中にも、同様の責任観を持つ人がいると思います。
首相に就任したからには「職務を遂行できなければ辞職して誰かに代わってもらう。それでけじめをつける。」などという安直な考えではなく、「死しても譲らぬ気概」をもって事に当たる必要があると思います。
【坂東】