藍色の風 第34号目次
春菊の芽
診察時の患者さんとの話の中で、私の思いも及ばぬ行動を知り、頭が下がることがあります。
昨年来院された80代の女性Mさんには心房細動があり、ペースメーカーも植え込まれています。両側の変形性膝関節症があり、立ち居振る舞いもままならず、視力低下も合併していました。
加齢と共に心機能が低下し、疲労や水分の取り過ぎもあって3Kg程、体重が増加してしまいました。ちょっとした労作で息が切れ、家事ができないと訴えます。食事相談と利尿剤の追加で余分な水分を引いたところ、体重も減少して自覚症状はほぼ消失。良かった良かったと思っていた矢先に、再度「せこい…」といってタクシーでかけつけられました。
「何か変わったことは、せえへんかった?」とお尋ねすると「息子が帰ってくるって電話があったけん、何んぞおいしいもんでも作ってやろうとおもて…思案したけんど、買いもんにも行けんし…畑に春菊が生えとったんに気がついたけん、春菊の芽でおいしいお吸い物つくったろうとおもうて、きれえな芽え、探して摘んみょったら時間がたって…せこうになった…」とのこと。不自由な足でしゃがみ込み、柔らかくておいしそうな春菊の芽を摘んでいたのでしょう。それが負担になったようでした。「気持ちはわかるけんど、おいしい春菊の芽のおすましより、元気なお母さんの姿を見せたげた方が、息子さんは喜ぶと思うよ。」と主治医としてのアドバイスはしたものの、自らの病は顧みず、久しぶりに帰宅する息子を歓待しようと必死になった姿に、「岸壁の母」の姿が彷彿とされ「母親はいくつになっても、母親」と母親の「無私の心」に、心の中で深く頭を下げたひとときでした。
【坂東】