藍色の風 第24号目次
社会生活習慣病
今年もメタボ健診と呼ばれる特定健診が始まりました。昨年度は制度の運用にもいろいろと問題があり現場も混乱しましたが今年はスムーズに行えると思います。
さて、昨年このメタボ健診を行って気になることがありました。それはこの健診を受けた2名の方が次のように言われたからです。「『メタボ』と認定されたら、会社から3万円の罰金を科せられる‥」
「保険者が国に拠出する後期高齢者医療制度の負担額は10%の範囲で加算、減算される」という制度があります。会社にメタボの人が多くなればこの負担金を増額されるため、会社はそれを避けるために先手を打ったのでしょう。しかし病気にかかれば罰金を科すという発想には賛成できません。以前、「風邪は社会の迷惑です」という宣伝文句で風邪薬を販売していた製薬会社がありましたが、批判を受けこの広告をやめてしまいました。今回のH1N1豚インフルエンザウイルス感染でも、感染した人が理不尽な中傷を受けたと報道されました。避けようの無かった感染がほとんどであり、それを非難する風潮は良くないでしょう。
メタボに関しても、「それはあなたの生活習慣が悪いから」と自己責任を盾に切り捨ててしまう風潮が見え隠れしています。しかし毎日の診療の中で、生活習慣を変えようにも変えられない人達がいることに気づきました。営業職の人に多いのですが、ノルマを達成するために、夕食も食べずに得意先回りを行い、夜の10時〜11時にやっと帰宅して遅い夕ご飯を食べ、お風呂もそこそこに寝てしまうという人達がいます。「夕方の6時くらいにおにぎりでもつまんで、夕食は少なくしたらどうですか?」「なんとか時間を作って、ウォーキングをしたら?」と勧めてみてもその実施が困難なことがわかります。このような仕事ぶりでは、高血圧症や糖尿病の治療は困難を極めます。
「世界的な競争に打ち勝つため、従業員に多少の負担がかかっても仕方がない。会社がつぶれたら元も子もないではないか。」という企業幹部の発言をよく耳にしました。しかし最も大事なのは個人の生活であるはずなのに、このような論理のすり替えがまかり通っています。患者さんの社会生活が変わらなければ、その人の生活習慣を変更することは困難です。
自分の生活方法を変更できる余裕があるにも関わらず、身体に良くない生活習慣を放置している人がいます。しかし、一方では生活習慣を変えようにも変えられない人達がいるのも事実です。この後者のような人達には生活習慣病という病名は不適切で、『社会生活習慣病』とする方が適切ではないかと思い始めました。
もちろん、非常に過酷な環境にあっても、ご自身の努力で体調管理をされている方もおられます。しかし極限の努力をして初めて身体の管理が達成できるような社会ではなく、普通の人が普通に生活してその体調管理ができる社会にならなければならないと思います。
『生活を尊重する』と謳う政党が増えています。しかし彼らは「尊重される生活」をどのような社会形態のもとで形成しようとしているのでしょうか?その主張を詳しく聞き、十分見極める必要があります。
国内総生産(GDP)の高低により国のランク付けがされがちですが、日本の国民総幸福度(GNH)がどのくらいに位置しているのか、心許ない限りです。
【坂東】